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プロに聞く洋服のお手入法

洋服の前合わせは男女で左右が違いますが、着物は男女とも右前に着ます。

 

しかし、着物は男も女も右前、つまり右側が内側にくるように着るのが習慣。

 

そもそもの右前、左前の「前」の意味は「手前」ということです。

 

左右どちら側の布を先に自分の肌に密着させるかで右前、左前という言い方をします。

 

自分の右手のほうの布を先に密着させるなら右前です。

 

着物が男女とも右前なのは、日本人は昔から右利きが多かったからだと言われていますが、本当にそうでしょうか?

 

確かに右利きのほうが多いですが、左利きの人も実は9人に1人くらいはいます。

 

いろんな説があるのですが、有力なのは奈良時代の法令によるらしいです。

 

奈良時代に出された法令に「右前に着なさい」というのがあるらしいです。

 

これは中国の思想の影響を受けていて、中国では左のほうが右より上位であったことから、高貴な人だけが左前に着て、庶民は右前に着ていたそうです。

 

それに、仕事をするときは右前のほうがやりやすいので、庶民は仕事をする上でも右前がよかったみたいですね。

 

また、死者に着物を着せるときは左前にする風習がありますが、これは死んだらみんな平等ということで、高貴な人と同じように左前にするのだとか。

 

着物の着かたひとつにも歴史があるんですね。

 

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フォーマルでもカジュアルでも使えるシーンの多いブレザーですが、そのルーツはイギリスにあります。

 

1877年、イギリスで恒例になっていたオックスフォード大学とケンブリッジ大学の対抗ボートレースが行なわれました。

 

このボートレースのときにケンブリッジの選手が着ていた真紅の上着が川面に映えて、まるで炎のように見えたので、観客が「Oh!blazer(炎だ!)」と叫んだのです。

 

ユニフォームの上にケンブリッジのカレッジカラーである赤のブレザーを着ていたんですね。

 

このとき以来、ブレザーは若い男のマストアイテムになっていきます。

 

アメリカでは学校関係の催事のときには、学生もOBもカレッジカラーのブレザーを着ます。

 

名門大学で学んだ誇りなんでしょうね。

 

このブレザーも男性の服装のカジュアル化に伴い、ビジネスウエアとしても広まっていきました。

 

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プラダのナイロントートバッグ、人気ですよね。

 

でも、このナイロンバッグ、ブームになったのは日本だけのようです。

 

プラダは日本ではナイロン製のトートバッグやリュックが有名ですが、もともとはイタリア王室御用達の皮革製品の最高峰メーカーです。

 

創始者のマリオ・プラダがミラノに店を開いたのは、まだ王政だったころの1913年。

 

ヨーロッパ中の貴族から注文が殺到するほどの人気だったとか。

 

しかし、マリオの死後はだんだんと名声もすたれていったそうです。

 

それを盛り返したのがマリオの孫娘のミウッチャです。

 

彼女は1978年に経営者兼デザイナーとなり、ナイロン製バッグを発表しました。

 

高級皮革メーカーだったプラダがナイロンを取り入れたということでかなり話題になりました。

 

このナイロンはミウッチャの祖父、つまり初代マリオ・プラダが使っていた旅行バッグの素材でした。

 

彼女の作ったバッグは縫製の技術が高く、軽くて丈夫なナイロンは雨にも強く実用的でした。

 

洗練されたモダンなデザインも女性に人気になりました。

 

しかし、このナイロン製バッグが飛ぶように売れたのは日本だけ。

 

しょせんはナイロン。ナイロン製のバッグに5万、6万払うのは日本だけのようです。

 

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帽子はもともと太陽の日差しや雨風から頭を防ぐために生まれました。

 

帽子の起源は古代ギリシアにまでさかのぼるということです。

 

それ以前にも人は太陽が強く照ったり、雨が降ったりしたら、手に持っている布や大きな葉っぱなどを頭にかぶったりしたのではないでしょうか。

 

帽子が誕生してからというもの、帽子は国柄をよく表すようになりました。

 

アメリカのカウボーイたちがかぶっていた「テンガロンハット」。

 

ホリの深い西洋人には似合う人が多いですね。

 

ツバの広い大型の帽子は、水が10ガロンも入るという意味で名づけられたようです。

 

アメリカの荒野で強烈な太陽の日差しを防ぐには、あれくらい大きなツバの帽子が必要だったということですね。

 

日差しの弱い地域では生まれなかった帽子です。

 

第二次世界大戦以降は、物資が不足していたため、男性の服装も簡略化され、帽子も使われなくなりました。

 

その後、また帽子が流行しだすのですが、そのキッカケとなったのがベースボールキャップなんです。

 

この帽子は、安くて誰でも合わせやすいという特徴から、年代、性別に関係なくかぶられるようになりました。

 

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エルメスのバッグといえば、バーキン、ケリーですね。

 

世界のセレブの御用達アイテムです。

 

エルメスの創業者、ティエリ・エルメスはもともと馬具を作る職人でした。

 

1837年、パリに店を出しましたが、しばらくは馬具のお店だったんですね。

 

でも、もともとが馬具店であったからこそ、皮革製品で世界のトップクオリティを維持できているともいえます。

 

というのが、皮革製品のなかでも、馬具は特に高度な技術が必要だからです。

 

エルメスのバッグには、馬具を作ることで培った技術がいたるところに盛り込まれています。

 

ケリーバッグも実は鞍を入れる鞄が原型なんですよ。

 

ケリーバッグといえば、蓋をベルトで止めるデザインで、多くの女性を魅了しています。

 

これも最初はデザインというよりも機能性から考え出されたものなんです。

 

エルメスがバッグを作りはじめた時代は、まだファスナーがありませんでした。

 

その時代に、動いても鞄の蓋がしっかり閉まるように工夫されたのが、ベルトで留める方式です。

 

ところでケリーバッグのもともとの名称は「サック・ア・クロア」でした。クロアというのはベルトのことです。

 

ベルト付サックという意味合いでしょうか。

 

それがケリーバッグとなったのは、モナコの王妃となったハリウッドスター、グレース・ケリーが1965年に、妊娠したときに愛用のバッグで腹部を隠した写真が「ライフ」という雑誌の表紙を飾って以降です。

 

ちなみに、バーキンも名前の由来は女優のジェーン・バーキンです。

 

ケリーバッグという名前になってから、このバッグは世界中で爆発的に売れるようになったんです。

 

ステマじゃないと思いますが、エルメスもラッキーでしたね。

 

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