男性にとっては身近なアイテム「ワイシャツ」。
背広の下に着るシャツのことをひっくるめてワイシャツといいます。
ワイシャツという呼び方は日本独自です。
英語ではホワイト・シャツ。それが訛って「ワイシャツ」と呼ばれるようになりました。
ワイシャツと言われ始めたのは大正の初期。
明治時代は「白じゅばん」と呼んでいたようです。
さてそんなワイシャツですが、いまではいろんなデザイン、カラーがありますね。
ホワイトだけではなくカラフルなシャツも増えています。
デザインの中でも今日は襟について。
ボタンダウンのシャツは、襟の先についている小さなボタンで襟を留めますよね。
これって何のために留めるようになったかご存知ですか?
ブルックス・ブラザーズというブランドは今でもありますが、ここの当主のジョン・ブルックスという人が、1900年にイギリスでポロ競技を観戦していたときのことです。
ポロ競技というのは、馬にまたがった選手が棒でボールを打ち合って得点を競うゲームです。
イギリスでは最上級に優雅なスポーツで貴族のするスポーツでした。
当時は、服装も整えて、襟のあるシャツ着用が義務付けられていました。
ジョン・ブルックスさんはそのポロ競技を見ているときに、選手がボールを打つたびにシャツの襟が頬に当たるのを気にしていることに気付きました。
これはプレーに支障をきたすだろうということで考えたのが、襟をボタンで留めるということです。
そしてブルックス・ブラザーズ社として、ボタンを留めるシャツを開発し、ポロ・カラー・シャツと名づけました。
それがやがてボタンダウンとしてニューヨークで定着したようです。
ネクタイをするときはボタンダウンじゃなくていいのですが、これからクールビズになったときは、通常の襟だと、首周りがしまりません。
クールビズのときはボタンダウンは重宝しますね。
関連記事
私自身は根っからの右利きなのですが、たまに左利きの人に出会うと、「おぉ、なんかカッコいいなあ」と思ってしまうのは私だけでしょうか。
字を書くのは大変そうですけどね。
なんでも世界では左利きの人の割合は約11%だそうです。
女性より男性のほうが4倍くらい左利きが多いみたいです。
日本では左利きの人の割合は約12%。
9人に1人は左利きということですから、思ったより多いですね。
でも逆にいえば、9人中8人は右利きなわけです。
右利きだと、シャツのうちあわせは右前のほうがボタン留めやすいですよね。
男性のシャツは右前なのですが、女性用のシャツって左前じゃないですか。
右利きなのに、左前だとボタン留めにくいはず。
着物のうちあわせは男女とも右前なのに、なぜ女性用のシャツは左前なのでしょうか?
昔、ヨーロッパでボタン付のシャツを着られるのは上流階級のご婦人だけだった時代のこと。
洋服屋が仕立てるボタン付のシャツは一般庶民に手が出せるようなものではありませんでした。
今でいうセレブしか着ることができなかったんですね。
そんな女性たちは、自分で服を着たりしません。
召使たちに着せてもらっていたんです。
そのため、女性用のシャツのうちあわせは召使がボタンをかけやすいように左前に作られたみたいですね。
現代で、召使に服を着せてもらう女性はさすがにいないと思いますが、昔からの慣習で女性用のシャツは左前のままなんです。
関連記事
あるサイトで高級ブランドのバッグ人気ランキングをまとめていました。
日本で人気の海外ブランドといえば、例えばバッグだとエルメス、ルイ・ヴィトン、グッチなどが思い浮かびますが
ランキングは
1位 エルメス
2位 ルイ・ヴィトン
3位 プラダ
4位 クロエ
5位 セリーヌ
となっていました。
個人的にはヴィトンに惹かれますが、ヴィトンといえば、エピ、ダミエ、タイガ、スハリ、ノマドなどいろんなシリーズがありますが、やはりルイ・ヴィトンといえば、LVの文字に花と星をあしらったモノグラムですよね。
なぜヴィトンがお気に入りかというと、このモノグラムの柄にまつわるエピソードが理由です。
このモノグラムの柄で、丸の中に星がデザインされたマークは、薩摩藩、島津家の家紋からとったものだそうです。
島津家の家紋
↓
モノグラムの柄が使われるようになったのは1896年。
この時代、フランスでは、日本ブームが起きていたそうです。
しかも1867年に開かれたパリ万国博覧会には徳川家とともに薩摩藩が参加していました。
このパリ万国博覧会で、島津家の家紋の入った品を日本の出展品として出していたんですね。
それを見たルイ・ヴィトンの関係者が、家紋から触発されてモノグラムのデザインを考案したといわれています。
また、ダミエは日本の市松模様がヒントになっているようです。
市松模様
↓
ダミエ
↓
なんか、日本と関わりがあるんだなあと思うと、親近感わきますよね。
関連記事
ジャケットの左襟に穴があいていますよね。
あの穴、なんであるかご存知ですか?
この穴の名前は「ラペルホール」といいます。
ラペル=下襟 のことです。
ちなみに 上襟のことは「カラー」といいます。
よく見かけるのは「社章」を付けている人ですね。
あとは、この穴のことを「フラワーホール」というくらいですので、オシャレに花をさすこともありますね。
しかし現在ではほぼ装飾的な意味合いしかありません。
もともとは、右側の襟にはボタンがついていて、これをかけて学生服の詰襟のようにして着ていたみたいですね。
その当時の名残で今も残っているようです。
結局のところ、今では、ジャケットの左襟にある穴の意味は・・・ない!ということです。
関連記事
ジーンズといえばやっぱりインディゴブルーですよね。
最近ではジーンズのカラーバリエーションも増えていますが、やっぱりブルー!
でも、どうしてジーンズの色はブルーが多いのでしょうか?
ジーンズが生まれたのは1850年代のアメリカ。
1847年、リーバイ・ストラウスというユダヤ系ドイツ人が移民としてニューヨークにたどり着きました。
当時のリーバイさんは18歳。英語も話せず、何かの技術を持っているわけでもありませんでした。
その後、ニューヨークから、当時ゴールドラッシュで沸いていたサンフランシスコに移動しました。
リーバイは金鉱でひとやまあててやろうと思っていたわけではないようで、ゴールドラッシュによる人口増加が著しいサンフランシスコで商人として成功したいと思ったようです。
織物や男物のシャツなどを扱っていました。
そのころ、一攫千金を夢見て、金鉱を掘っていた抗夫たちですが、ズボンが作業に耐え切れず、すぐに破れてしまうという悩みを抱えていました。
そこでリーバイは、商売用にもっていたテント用のキャンパス地を使って、膝が破れない丈夫なパンツを作りました。
そのパンツは抗夫たちにとても喜ばれて、「リーバイスのパンツ」と呼ばれるようになりました。
これがジーンズのはじまりです。
リーバイ自身が金鉱を掘り当てるために作ったという人もいますが、実際のところは、抗夫のために作ったというのが事実のようです。
その当時、抗夫たちの恐怖になっていたものがあります。
それは蛇。
ジーンズを染めているインディゴブルーとは、インド産の青い染料で、虫除けの効果があると言われています。
日本でも、昔の農家では作業着に藍染が使われていましたが、これも虫除けの効果があったからです。
そのインディゴブルーですが、当時のサンフランシスコの抗夫たちには蛇よけの効果があると信じられていたみたいです。
ホントに蛇よけの効果があったかどうかはわかりませんが、このブルージーンズは瞬く間に人気となりました。
リーバイは金鉱を掘り当てる以上の金脈を掘り当てたわけですね。
関連記事