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トレンチコート

トレンチコートの「トレンチ」というのは、「塹壕」という意味です。

 

トレンチコートは、第一次世界大戦の頃に、雨のぬかるみの塹壕戦で活動しやすいように、イギリス軍将校によって考え出されました。

 

ダブルブレストで片側5個ずつ、計10個の大きなボタンが特徴のトレンチコートは、男性も女性もまったく同じデザインでOKなユニセックスファッションです。

 

トレンチコートの生地は、業界で「綿バーバリー」と呼ばれる、防水加工済の100パーセント綿もしくは、綿とポリエステル混紡のギャバジンを使います。

 

ギャバジンとは防水処理が施されている綿生地のことです。

 

綿バーバリーと呼ばれるのは、イギリスのバーバリー社が最初に開発したからです。

 

ギャバジン生地はとても丈夫にできています。

 

ギャバジン素材のトレンチコートのお手入れは、馬毛ブラシなどを使って、ブラッシングしてください。

 

硬めのブラシを使っても生地を傷めるようなことはありません。

 

ただし、ウールを使っている場合は、洗濯をすると生地が縮んでしまうことがあるので注意してください。

 

不安な場合は、クリーニングに出してくださいね。

 

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ピーコートの名前の由来は、このコートに使われるような厚手の生地を、オランダ語で「Pij」ということが由来です。

 

このピーコート、もともとは、水兵が艦上で、または外出のときに着ていたのですが、それが一般に広まったのは、イギリスの社交界の名士の影響です。

 

19世紀のはじめ、イギリス社交界の中でもオシャレで有名だった、アルフレッド・ドルセー伯爵がコートを着ないで外出しているときに、雨が降り出しました。

 

困っているときに水兵が通りかかり、その水兵の着ているダブルコートを買って着てみると、なかなか使えるじゃないかということで、口コミしまくったみたいです。

 

ただ、ピーコートがイギリスやアメリカで一般の人にも流行するのは1950年代以降のことなので、アルフレッド伯爵がはじめて着てから、かなり後なんですね。

 

今では若者の定番コートのひとつになっているピーコートですが、もともとは水兵さんのコートだったんですね。

 

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コートといえば「バーバリー」というくらい、特に雨の日のコートの中ではバーバリーは名実ともに世界一ではないでしょうか。

 

バーバーリーよりも高いコートはありますが、こだわりは間違いなくNO.1でしょう。

 

レインコート業界の人の中には、バーバーリーのコートのすごさを探ろうと、バーバリーのコートをばらして研究したことのある人もいるくらいです。

 

バーバーリーのコートのこだわり

① 肩など雨のかかる部分について

縫い上げたあとに、縫い目の部分に薄いゴムの被膜を貼っています。縫い目にできたミシン穴から雨がしみこんでこないようにしようという配慮です。細かいですよね。

 

② トレンチコートについて

右胸の上の部分の共布が二重になっています。

 

③ ボタン付けについて

通常のコートのボタン付けは糸を3~5回ぐらい巻けばOKとされていますが、バーバーリーのコートは8回巻いています。

 

④ 防水加工について

表地はもちろんのこと、裏地、縫い糸にいたるまで防水加工がほどこされています。

 
バーバーリーのコートのこだわりは本当にすごいです。

 

人気なのも納得です。

 

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シャネルブランドの創始者であるフランスのデザイナー、ガブリエル・シャネル。

 

ココ・シャネルといったほう有名かもしれませんが、ココ・シャネルという名前は、ガブリエル・シャネルが歌手としてキャバレーに出ていた時の通称です。

 

シャネルといえば、世界に冠たるブランドですが、ガブリエル・シャネルはもともとは帽子のデザイナーでした。

 

やがてブティックを開き、1916年には、それまで下着の素材だったジャージーを使って、活動的なカジュアル・スーツを発表しました。

 

いわゆるシャネル・スーツの原型ですね。

 

さらに、それまではお葬式に使う色であった「黒」を取り入れたり、男性の服装をヒントに、カーディガン・スーツを作ったり、それまでの常識では考えられない斬新なファッションを世の中に提案していきました。

 

自らが働く女性だった彼女は、自分の信念を貫く進歩的な女性だったようですね。

 

シャネラーと言われる熱狂的なファンはこのあたりにも共感しているのかもしれません。

 

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プラダのナイロントートバッグ、人気ですよね。

 

でも、このナイロンバッグ、ブームになったのは日本だけのようです。

 

プラダは日本ではナイロン製のトートバッグやリュックが有名ですが、もともとはイタリア王室御用達の皮革製品の最高峰メーカーです。

 

創始者のマリオ・プラダがミラノに店を開いたのは、まだ王政だったころの1913年。

 

ヨーロッパ中の貴族から注文が殺到するほどの人気だったとか。

 

しかし、マリオの死後はだんだんと名声もすたれていったそうです。

 

それを盛り返したのがマリオの孫娘のミウッチャです。

 

彼女は1978年に経営者兼デザイナーとなり、ナイロン製バッグを発表しました。

 

高級皮革メーカーだったプラダがナイロンを取り入れたということでかなり話題になりました。

 

このナイロンはミウッチャの祖父、つまり初代マリオ・プラダが使っていた旅行バッグの素材でした。

 

彼女の作ったバッグは縫製の技術が高く、軽くて丈夫なナイロンは雨にも強く実用的でした。

 

洗練されたモダンなデザインも女性に人気になりました。

 

しかし、このナイロン製バッグが飛ぶように売れたのは日本だけ。

 

しょせんはナイロン。ナイロン製のバッグに5万、6万払うのは日本だけのようです。

 

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